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観光

「一筆啓上 日本一短い手紙の館」が間もなくオープン

 URLをクリックしてください。
 ⇒ http://maruoka-fumi.jp/yakata.html
  

日本一短い手紙 一筆啓上賞

丸岡町ゆかりの徳川家康の忠臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」(「お仙」とは後の越前丸岡城主 本多成重(幼名 仙千代))の碑が丸岡城にあります。

 この碑をヒントに日本で一番短い手紙文を再現し、手紙文化の復権を目指そうということで、平成5年から毎年テーマを定めて「一筆啓上賞」として作品を募集し、平成15年から「新一筆啓上賞」として、日本全国はもとより、海外からも応募が寄せられています。

2013年度大賞の紹介
40文字以内で大切な人などに思いを伝える日本一短い手紙のコンクール「第21回一筆啓上賞」の大賞が1月21日発表され「わすれない」をテーマに国内外から寄せられた41,237通の作品の中から5作品が選ばれた。
受賞作品を紹介致します。
下記のウエブサイトにアクセスしてご覧ください
      ↓  ↓
http://maruoka-fumi.jp/ippitsu-nyuusyou21.html



過去の作品 紹介

丸岡城(霞が城)

画像の説明                     

国の重要文化財丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。
戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。
丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。 
また、園内には400本のソメイヨシノが植えられ、日本のさくら名所100選に認定されており、4月には城下で丸岡城桜まつりが行われます。 
丸岡は、天正4年(1576年)、柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築き、城下町を整備したのが都市的起源とされています。  
丸岡城は柴田勝豊によって築城され、国の重要文化財です。外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。 
柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わったが、本多氏は4代で改易。  元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続きました。

東尋坊

画像の説明

奇勝東尋坊を堪能する

時は寿永、民に巨悪の限りをつくした東尋坊という名の怪力の悪僧。在所の美しい姫君に心を奪われた東尋坊は、恋敵である真柄覚念という僧と激しくいがみ合ったとされる。ある時、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落とした。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続いたそうな。毎年命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激しく打ち殴り続けたとか。

この岩壁が「東尋坊」と呼ばれることになった由縁に、こんなにもはかなく切ない無骨な男の悲恋物語があったという逸話を、福井県民も以外と知らないはず。

絶景に心打たれ、海面を遊覧船で滑り、美味しい海の幸に舌鼓を打ち、買物に興じる、そんな自由で平和な現代人の姿を、いにしえ人東尋坊は「俺もこの時代に生まれていれば・・・・」と、きっとボヤいていることでしょう。

永平寺

永平寺

曹洞宗 大本山 「永平寺」

今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。
 境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
 永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。
 8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家されました。 その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、師明全とともに中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開かれて釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝されました。帰朝後京都の建仁寺に入られ、その後宇治の興聖寺を開創されました。
 寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。
 翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。
 以来、御開山道元禅師が説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。

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